「車輪の再発明」は、ビジネスや開発の現場でしばしば否定的な意味合いで使われます。「既にあるものをわざわざ自分で作り直すなんて、非効率だ」と。たしかに、多くの場合はその通りかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか?本質を理解するために再構築すること、既存の枠組みを疑ってみること、自分たちに合った最適解を見つけ出すこと。それらは時に、大きな価値を生み出します。この文章では、「車輪の再発明」に潜む一般的なデメリットをあらためて整理したうえで、そこに隠された中長期的なメリットについて掘り下げてみたいと思います。そして最終的には、「どんなときに再発明すべきか?」という判断の軸を提案します。単なる効率か、深い理解と独自性か。その選択は、未来の成果に大きく関わってくるのです。
一般的に言われるデメリット
「車輪の再発明」という言葉は、主にネガティブな文脈で使われます。その理由は明快で、すでに存在している有用な仕組みやツールを一から作り直すことは、多くの場合で“無駄”と捉えられるからです。ここでは、よく指摘されるデメリットをいくつかの観点から整理してみます。
1. 時間とコストの浪費
最も大きなデメリットは、膨大なリソースを消費する点です。すでにあるソリューションを導入すれば1日で済むことが、ゼロから開発すれば1ヶ月かかる。開発者の人件費、検証時間、トラブル対応など、見えないコストも含めると、その差は膨大です。
2. 品質・信頼性の低下
成熟した既存ツールやライブラリは、長年の利用実績と改善によって高い品質が保たれています。一方、自作の再発明品はテストが不十分で、バグやセキュリティリスクを含んでしまうことが少なくありません。特に商用プロダクトでは、この点が致命的になることもあります。
3. ナレッジ共有と引き継ぎの難しさ
再発明された独自仕様は、標準的な知識やドキュメントに基づかないため、メンバー間での理解が難しくなります。結果として属人化しやすくなり、プロジェクトの持続性が損なわれるリスクも高まります。
4. 自己満足で終わる危険性
再発明は一見「学び」や「挑戦」のように見えるものの、外から見ると単なる自己満足や内向き志向に映ることがあります。特にチームで動いている場合、個人の学びを優先しすぎると、チーム全体の目的から逸れてしまうことも。
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このように、「車輪の再発明」は多くのリスクを孕んでいます。だからこそ、「やめておけ」というアドバイスは一理あるのです。…が、ちょっと待ってください。これらのデメリットを認識したうえで、それでもなお再発明に取り組む価値があるとしたら?——次章では、あえて再発明することの“意味”について掘り下げていきます。
本質的な理解が深まる
最近の小学生の中には、「魚は海の中を切り身のまま泳いでいる」と思っている子もいる、という話があります。笑い話のようですが、これは現代社会が直面している“本質への無関心”を象徴しているとも言えます。すぐに使える切り身(=ツールや完成品)ばかりが手元に届き、その背後にある構造やプロセスを知る機会がどんどん失われている。これは技術やビジネスの世界にも同じように当てはまります。
「車輪の再発明」は、そうした“切り身の世界”に対するアンチテーゼでもあります。以下の3つの観点から、その価値を整理してみましょう。
1. 仕組みの背後にある意図や構造を理解できる
既製の仕組みは便利ですが、「なぜそう設計されているのか?」という問いへの答えは見えにくいものです。たとえば、ある認証機構をただ使うだけでは、「トークンの発行・更新の設計がどうしてこうなっているか」までは見えません。しかし、ゼロから自作してみると、「なぜ複雑なロジックが必要なのか」「セキュリティとのトレードオフはどこにあるのか」など、構造の奥にある意図が理解できます。これは本を読むだけでは得られない、“手触りのある理解”です。
2. 思考力・応用力の強化につながる
再発明を通じて得られるのは知識だけではなく、思考の筋力です。限られた情報や経験を元に、「そもそもこの課題は何か?」「今ある方法以外にもっと良い手はないか?」といった問いを自分で立て、検証していくプロセスが不可欠です。これは、与えられたものを“使う”スキルとは異なり、状況に応じて“設計できる”力に直結します。プロダクト設計や組織デザインのような創造的な業務においては、この応用力が不可欠です。
3. 知識の文脈化と判断力の獲得
単に知識を「持っている」だけでは、適切な場面でそれを使えるとは限りません。再発明の過程では、「なぜそれが必要なのか」「どのような制約下で有効なのか」といった知識の“文脈”を一緒に学ぶことになります。たとえば、「このライブラリは素晴らしいが、うちの組織構造ではメンテできない」といった判断は、表面的な知識だけでは下せません。実際に自分の手で作ってみた経験があるからこそ、選択の基準を持つことができるのです。
こうした再発明の価値は、近年のAI研究における「記号設置問題(symbol grounding problem)」とも通じます。AIは「記号(シンボル)」の意味を文脈や経験ではなく、他の記号との関係性で学んでいます。つまり、“実体験”を持たないまま、記号の操作だけで理解したつもりになっている状態です。人間で言えば、言葉の意味を辞書で引き続けているようなもの。これは本当に「理解」と呼べるのでしょうか?
同じことが私たち自身にも起きています。既存のツールや知識体系の上に立ち、それらを“使いこなしている”つもりでも、その背後にある意味や背景を経験していないなら、それは記号をなぞっているだけかもしれません。
だからこそ、再発明は「記号を実体に結びつける」営みでもあります。作ってみる、構造を分解してみる、試行錯誤してみる——それらのプロセスを通じて、知識が実感と結びつき、“自分の中で意味を持った理解”へと昇華されていくのです。
つまり、再発明とは“過去の焼き直し”ではなく、“本質への再接続”である。たとえ遠回りでも、その道を通った者だけが、本当に意味のある知を獲得できるのです。
既存のものを超える可能性がある
「車輪の再発明」は、単なる繰り返しや時間の無駄だとされがちですが、実はそこにこそ既存の限界を突破するチャンスが隠れています。ここでは、「再発明がイノベーションにつながる理由」を3つの観点から解説します。
1. 当たり前を疑うきっかけになる
既存の仕組みをなぞるのではなく、一から作ってみることで、「これって本当に最適なのか?」「前提がおかしいのでは?」という気づきが得られます。これは、前提を疑う力、つまりクリティカル・シンキングのトリガーになります。
たとえば、ある業務フローが長年使われているからといって、それがベストとは限りません。再構築の過程で「この手順は要らないのでは?」「目的に対してズレているのでは?」と気づき、業務の大幅な効率化や品質向上につながることがあります。
2. 不満や違和感が「問い」になる
再発明を試みる中で感じる不便さや違和感こそが、イノベーションの種です。「このUI、なぜこんなに使いづらい?」「この設計、複雑すぎるのでは?」といった問いから、新たな発想が生まれます。
実際、iPhoneの登場はその好例です。当時すでにスマートフォンは存在していましたが、「なぜ物理キーボードが必須なのか」「なぜタッチ操作が直感的でないのか」という疑問を徹底的に突き詰めた結果、全く新しいUXが生まれました。
3. 再解釈を通じて独自の解が生まれる
再発明は、ただの模倣にとどまりません。ゼロから作る過程で、自分なりの「再解釈」が加わり、オリジナルの思想や設計が生まれてきます。
たとえば、既存のフレームワークを模倣して自作したとしても、実際の現場やチームの特性に合わせる中で、自分たちにとって最適な“別解”が見えてくることがあります。それはもはや単なる再発明ではなく、“再構築を通じた創造”と呼べるでしょう。
再発明とは、「新しい何かを作るために、あえて古いものを壊してみる」ことです。だからこそ、そこから生まれる問いと解は、既存を超える可能性を秘めているのです。
組織・チームにとっての独自性が生まれる
再発明の価値は、個人の学びにとどまりません。組織やチームにとっての独自性の確立にもつながります。標準的なツールやプロセスをそのまま使うことは効率的で便利ですが、同時に「他の組織と同じになる」というリスクも孕んでいます。ここでは、再発明が組織にもたらす文化的・戦略的な価値について、3つの観点から整理します。
1. 汎用ツールではカバーしきれない“現場のリアル”がある
多くの外部ツールや業務フレームワークは、広く使われることを前提に設計されているため、ある程度“平均化”されています。しかし実際の現場には、文化、規模、スキルセット、価値観など、さまざまな固有の条件があります。
一度ゼロから作り直してみると、「うちのチームにこのフローは合わない」「ここの設計は冗長すぎる」といった、自分たち特有の課題が浮かび上がってきます。再発明は、それをすくい取るプロセスにもなるのです。
2. 再発明によって文化が形成される
「うちのやり方」は、単なる業務手順以上の意味を持ちます。なぜそういう設計にしたのか、どうやってそこに辿りついたのか——それらの背景をメンバー同士で共有することは、共通言語や意思決定の基準を作り出します。これは、カルチャーそのものです。
たとえば、技術方針やドキュメントスタイルを自分たちで決める中で、チームの価値観が明確になり、メンバーの帰属意識や自律性も高まっていきます。
【補足】効率化が文化や競争力をコモディティ化させるリスク
これは、都市や地域の開発でも見られる現象です。チェーン店が立ち並ぶ街は、便利で統一感もありますが、その分、どの街とも似たような風景になり、独自性が失われていきます。それ自体が悪いわけではありませんが、誰にでも真似できる構造というのは、つまり“コモディティ化”された状態です。差別化要素が薄れ、結果としてレッドオーシャンに突入するリスクが高まります。
もちろん、東京のように「チェーンが多くても勝てる街」もあります。ただ、それは規模・資本・人口といった条件が圧倒的であるからこそ可能な話です。ほとんどの地域や企業にとっては、「真似されにくい独自性こそが競争優位の源泉」であり、それを持たないまま効率化に走ると、際立てる要素がなくなってしまいます。
同様に組織でも、「他社と同じフレームワーク」「誰でも導入できるツール」ばかりを使っていると、自社の特徴や優位性を自ら削ぎ落としてしまうことにつながりかねません。
3. 独自の仕組みが競争優位を生むこともある
「誰でも使えるもの」は、競合も使っている可能性が高いということです。逆に、自分たちで磨き上げた仕組みやノウハウは、他社が簡単に真似できない強みになります。
たとえば、特定業界に特化した営業フローや、属人的な知見をプロセス化した仕組みは、再発明によって生まれることが多く、それが企業文化やサービスの差別化要素になっていきます。
再発明は、ただの“作り直し”ではありません。「自分たちにとっての最適解」を探し、独自の文化や競争力を形作る営みでもあるのです。
技術負債をコントロールしやすくなる
「車輪の再発明」は、技術的には非効率に見えることが多いですが、実は長期的な運用や変化に対する柔軟性を確保するための有効な手段にもなります。特に技術負債のコントロールという観点では、単なる“効率の悪さ”ではなく、“自分たちで整備できる体制を作るための投資”と見ることができます。ここではその意義を3つの観点から整理します。
1. ブラックボックスの導入は、将来の負債になりうる
外部ツールやライブラリを導入する際、その内部構造や設計思想を理解しないまま使い始めると、後々トラブルの元になります。サポート終了や仕様変更に直面したときに、自分たちで手を加えられない=技術的にコントロールできない状態が生まれるからです。
一方、再発明によって仕組みを構築した場合、その構造や制約、意図を深く理解できているため、想定外の事態にも比較的柔軟に対応できます。これは、運用の持続性という観点から大きな強みです。
2. 全体最適の視点から設計できる
局所的な課題に対して、その都度ツールを導入して対応していくと、やがて組織内に**無数の“局所最適の集合”**が生まれます。これが全体の整合性を崩し、結果として複雑化・属人化し、技術負債が雪だるま式に膨らんでいく構造をつくってしまいます。
私が実際に関わってきた企業の中にも、「全体設計が描けないためにDX化が進まず、結果的に現場レベルの業務改善止まりになってしまっている」ケースが多く見られました。また、事業設計そのものが曖昧なまま走っている企業では、「組織の力が発揮できない」「責任の所在があいまい」「言い逃れが可能な状態」など、健全なゲームルールが整っていない状況が散見されます。
再発明を通じて自ら設計し直すことで、組織や業務にフィットした全体最適のシステムやプロセスを構築でき、構造的な不整合や責任の曖昧さを防ぐ設計力が養われます。
3. 学びと技術蓄積が内部に残る
再発明には時間がかかりますが、その過程で得られる設計ナレッジや議論の履歴は、組織にとっての資産になります。特に、仕様を自分たちで決め、実装してきたプロセスは、その後の変更や改善の際にも強い武器になります。
さらに「自分たちで作ったもの」であるという意識は、現場の運用にもポジティブに作用します。ツールに対する理解度が高まり、改善意欲や責任感が生まれるため、継続的な保守・改善文化にもつながります。
短期的な効率化に飛びつくよりも、自ら設計する力を持ち、長期的に負債をコントロールできる体制を整える。その第一歩としての再発明は、決して遠回りではなく、未来の柔軟性と強靭性を獲得するための行為なのです。
じゃあ、どんなときに再発明するべきか?判断基準を提案
ここまで、車輪の再発明には「本質的な理解」「イノベーションの種」「独自性の確立」「技術負債のコントロール」といったメリットがあることを見てきました。しかし当然ながら、すべての場面で再発明を行うのが正解というわけではありません。時間やリソースが限られている現場では、「やるべき再発明」と「避けるべき再発明」を見極める判断軸が必要です。
ここでは、実務で使える3つの視点を提案します。
1. 【目的軸】「学び」「強化」「差別化」につながるか?
再発明を通じて得られる学びや強化が、将来的な価値に変換されるかを見極めます。たとえば、若手育成や仕組みの内製化が組織戦略として重要なら、理解を深めるための再構築は投資価値があります。また、業界的に競合と差別化しづらい領域において、独自性を出したい場合も再発明が選択肢に入ります。
→ YESなら「学習・差別化目的の再発明」として価値あり。
2. 【制約軸】既存ソリューションが“使えない理由”があるか?
「既存のツールや仕組みでは対応しきれない」「自社の業務に合わない」「変更・拡張が困難」といった制約による正当な理由がある場合、再発明は合理的な選択です。一方で、ただの好奇心や“なんとなく作りたい”だけで始めてしまうと、組織のリソースを浪費しかねません。
→ YESなら「適合性・柔軟性確保のための再発明」として妥当。
3. 【資源軸】継続運用できるスキル・体制があるか?
どれだけ理にかなった再発明であっても、それを維持・改善していける体制がなければ負債化してしまいます。運用を任せられるメンバーがいるか、知見が継承されるか、ドキュメントが整っているか。これは見落とされがちですが、非常に重要な観点です。
→ YESであれば「自走可能な再発明」としてGO。
この3つの視点(目的・制約・資源)を総合的に見て、「少なくとも2つ以上がYESなら、再発明に踏み込む価値がある」と判断するのが現実的な基準となります。
重要なのは、「再発明すること」自体ではなく、「再発明する意味があるかどうか」を問い続けること。効率と本質のバランスを見極める目が、プロダクトや組織の未来を左右するのです。
まとめ
「車輪の再発明」は、無駄で非効率な行為と捉えられがちです。しかしそれは、本当にそうでしょうか。
私たちはつい、効率を最優先にしてしまいます。すでにあるものをそのまま使い、時間を節約し、最短距離で成果を出そうとする。でもその過程で、「なぜそうなっているのか」「もっとよいやり方はないのか」という問いを手放してしまってはいないでしょうか。
あえて時間をかけて作り直すこと。その中で見える構造、問い直される前提、育まれる独自の文化や技術力——それこそが、長期的な価値を生む土壌になります。再発明とは、過去の焼き直しではありません。本質に触れ、自分たちの手で未来を設計し直す行為です。その選択が遠回りに見えても、行き着く先が唯一無二の成果であるなら、それは確かな前進なのです。
前提を疑い、0ベースで経営・事業を考えるにあたり、伴走が必要な場合や何かご不安に感じる点がある場合はお気軽にお問い合わせください。